AIは古代東洋に通じる!? 落合陽一『デジタルネイチャー』書評
今更ですが、落合陽一さんの『デジタルネイチャー』を読了しました。
ムズすぎやろこの本。(直球)
なんなら著者ですら
「1日36ページ以上おれ読めないんっす」
とのこと。
著者ですら読めない本ってどういうことだろうか(哲学)
ただ、その分内容はブッ飛んでて面白いのでオススメです。
その中でも興味深いコンテンツがあったので1点ご紹介します。
AIは古代東洋と繋がっている!?
落合陽一さんは、
AIと、古代東洋の「悟り」
は非常に似ている、という旨の記述をしています。
…なんのこっちゃって感じですね。
私も初見でそう思ったので、軽く解説します。
で、「悟り」って何さ?
「悟り」 = 理屈なしで物事をありのまま理解する
ということです。
逆に、「悟り」と対極にあるのが
「理論・原因・理屈などを考えて物事を理解する」
という姿勢です。
この姿勢は近代西洋、とりわけ自然科学などに顕著だと思います。
例えば、
この話は、
「リンゴが落ちる」
ことを理論的に説明すると、
「重力がリンゴを地面に引っ張る方向に働いているからだ」
となる、みたいな話です。
落合陽一さん的には、こうした理論化は「悟り」ではないと言っている訳です。
AIも悟っている!?
「AI」とか「機械学習」といったワードを最近よく聞きますね。
AIの面白い点として、
機械が勝手にデータを解釈してしまう
という点があります。
(詳しく知りたい人は下記記事参照)
つまり、
「リンゴというのは、赤くて丸くて表面が〜な果物のことだ」
みたいな理論を考えなくても、
機械が勝手に
「これはリンゴだ」
と判断するようになる訳です。
このように、理論を介さずに物事を理解してしまうAIは
古代東洋における「悟り」に非常に似ている、
と落合陽一さんは指摘しています。
はえ〜しゅごい。(小並)
まとめ
「悟り」を体得するには、長年の修行が必要。
つまり機械学習とは、
人間とは比べ物にならないスピードで修行を行うこと
と言い換えても良いのかもしれません。
将棋とか囲碁のAIとかそんな感じですよね。
書評
落合陽一さんは研究者であると同時に、知の巨人でもあります。
宗教、芸術、経済から最新のアニメまで、ありえん造詣が深いお方です。
そういった人だからこそ、
古代東洋の宗教観と、現代のAIを結びつけられたのかもしれません。
落合陽一、半端ないって!